【由 緒】
当寺が創建されたのは、今から640年程の昔、貞治年間で、開基したのは、宇多天皇18代の子孫にあたる、佐々木尾張守六角管領源 氏頼公で、開山は、最乗寺9世住職となった在仲宗宥大和尚である。
氏頼公は、武勇に優れていたばかりでなく、深く仏法に帰依して、その法号を「大慈恩寺殿雪江崇永大居士」と称し、各地に寺院を建立したと言われている。
その氏頼公が、当地、関の鋳物師屋に堂宇を創建しようとしたところ、土の中から金銅仏1体が出てきたので、「この地こそ浄地」とし、七堂伽藍を建立したのが天徳寺の興りで、氏頼公がその徳を慕っていた名僧・在仲宗宥和尚を開山に招請したのである。
氏頼公は、寺を建てて寺領を寄進し、自分でこの寺を守護することを誓ったといわれ、後に勝山権現としてまつられるようになった。また、堂宇建立の時、鋳物師屋一帯に紫雲がたなびいたことから、「瑞雲山」という山号がつけられたといわれている。
世の変遷と共に寺もうつり変わり、天正時代7世義翁和尚の代に、応仁の乱によって寺を兵火に焼かれ、一時、神奈川県平塚市真田に寺を移したこともあり、その後も、元禄2年、弘化元年にも不慮の災火に逢っている。
現在の本堂は、「火災や台風にも強い本堂を」と26世弘道和尚が発願し、檀信徒の協力を得昭和38年に完成したもので、鉄骨鉄筋コンクリート建ての永久建築となっている。
【行 事】
1月 大般若新年祈祷
3月 開山忌・大般若・彼岸供養
4月 弘法大師正当祭礼
5月 花まつり
8月 大施食会・観音供養・地蔵祭
9月 彼岸会先祖供養
12月 弘法大師冬至祭礼・除夜の鐘