【由 緒】
開創は享禄元年(1528)で、龍泰寺の一宇を移し清伝庵と称した。龍泰寺開山華叟正蕚大和尚の法嗣、快庵妙慶大和尚(1422〜1493)を開山に請する。快庵妙慶大和尚は、徳川時代に関三寺といわれ、徳川幕府から関東地区の曹洞宗の取締役(たばね)の如き地位を与えられた三ケ寺のうちの一つ栃木県の太平山大中寺の開山にもなっておられる。また、快庵妙慶大和尚は、徳川時代の有名な文人、上田秋成の書いた「雨月物語」に「大中寺の青頭巾」という伝記の物語りの主人公になっている名僧である。
寺の創立の主役をなした人を開基といって、いずれの寺でも開山同様重視せられている永昌寺の開基は木曽義仲の後裔、永昌院殿心徹道欽大居士、足立新兵衛で現鵜匠である足立幹郎氏の祖先である。享保13年(1728)7月、寺基を小瀬杉洞より現在地に移し清伝庵といったのを永昌寺と称し、龍泰寺25世透空正鱗大和勧請して法地を起立した。
【文化財】
境内に樹齢約470年と推察される公孫樹(イチョウ)の大樹があり関市文化財
【交 通】
長良川鉄道関駅・名鉄新関駅下車タクシー 8分
岐阜バス小瀬下車徒歩10分