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2006/06/07-14:38:11
寺院紹介/fp

法幢山 増徳寺

住職:長宗 一陽

【由 緒】
 伝承によれば、後一条帝の頃(68代、1016〜1036)増徳寺の本尊延命地蔵菩薩、定朝法橋の作で、深山無俳の地に露現し、旧跡真言の道場
に伝崇し来たり。
 徳山家系図に、「徳山七良二郎頼長(改貞長、徳山家2代城主)永享10年5月15日(1438)於濃州赤坂合戦討死高名也。法名、寅岩高秀号増徳寺有濃州徳山」とある。この時代(足利義教将軍頃)に「増徳寺」という寺院ありしこと明らかで、頼長はこの寺を菩提寺としていたと考えられる。徳山五兵衛尉則秀、女婿佐久間玄蕃允盛政と共に柴田勝家に味方し、近江国賤ヶ岳合戦に参戦し敗れ、同国菅並村洞寿院に難をのがれ後、高野山におもむき出家したが、前田利家にめされ、利家没後、徳川家康に召された。旧領地徳山および五千石を賜り旗本に列せられた。慶長11年11月21日(16(裕)寂62歳、増徳寺に埋葬された。増徳寺は、則秀存命中、洞寿院の長老松巌梵梁師を招き開山とし、曹洞宗に改宗している。

【現 況】
 昭和22年、29年と2度の徳山村大火災に遭い、増徳寺も全焼。寺の縁起となる書物も什物も焼失したが、亮魁和尚により当本尊と開山像を火の中より救い出した。昭和62年徳山ダム建設の為、揖斐郡徳山より本巣郡本巣町文殊に移転した。翌昭和63年5月15日に落慶法要を勤修する。毎年6月24日に行う『地蔵盆』には秘仏の開帳及び法要が行われ、各地に移転した
旧徳山の住民が集う。

【交 通】
 岐阜バス黒野線 岐陽高下車 徒歩10分