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2006/06/07-13:48:30
寺院紹介/fp

施無畏山 観音寺

住職:田中 和彦

【由 緒】
 養和元年(1181)の開創と伝えられ天台宗であった。寺伝には開創当時は萬年山元正庵と称し、現在地より上方200米の『寺跡地』に在としている。弘安年間(1280前後)に現在地東隣へ移転、その後、室町期〜戦国期は消息定かでない。春日村中に当時12カ寺院あったが全て天台宗であった。15世紀末ころから本願寺布教密となり改宗の傾向となる。下って慶長期(1600年前後)までには春日村全寺院が天台宗より離脱となった。
 観音寺のみ曹洞宗に改宗、他は浄土真宗寺院となった。慶長6年隣村の廃寺より観音・釈迦・大日如来の三尊を譲り受け、廃寺同然の当寺に安置した。その後慶安元年(1648)大垣藩主2代の戸田氏信の志願あって外護、元正庵を観音寺と改め、加賀大乗寺25世白峯玄滴和尚を請して堂宇を再建し開山とした。
 寛文年中(1665年前後)には2代目藩主夫人の信仰により、徳川北ノ丸殿病気平愉祈願の参詣あるも、観音寺への山道遠く往復困難であった。依て大垣近郭の北一色村(現神戸町)に栄春院を建立して、観音寺十一面千手観音像を移し日参した。観音寺には白峯和尚推挙の観音像が本尊として安置された。
 享保18年(1733)在寺の集落、中山の大火に罹り焼失、藩主により再建されたが、130年ほど後の安政年間に再焼失した。
10代藩主により文久元年(1861)再建、時に普門山を施無畏山と改めた。
 昭和55年西美濃三十三観音霊場12番札所となり、深山里春日村の名所となっている。

【行 事】
 初観音 涅槃会 大般若会 潅仏会 精霊送、地蔵盆会、施食会