禅叢林net
last up date
2006/07/10-11:23:01
寺院紹介/墓地紹介/fp

瑞雲山 大龍寺

住職:竹山 玄道

【由 緒】
 大龍寺の前身である法林寺は、慶長5年(1600)に創建された。時の支配は徳川幕府にあり、旗本村瀬左馬介重治が3000石を受領し、明治維新まで倉知地区を統治した。旗本は江戸時代の武士の階級の一つで徳川氏直属の士である。重治の役職は左馬介で従五位であった。後に元和6年(1620)には水戸中納言の家老となり水戸家より一万石を賜っている。領主村瀬氏は法林寺を再建し、寛永10年(1633)大龍寺と改称して菩提寺とした。開山には龍泰寺の17世天庵正尭大和尚を迎えた。
 この地域には地区を上組・下組に分け互いに神輿を押し合う「倉知祭」という祭がある。この祭は別名「けんか祭」とも称され、寛永11年(1634)からおこなわれている。祭の発端は初代領主村瀬公の治績が大いにあがり、それに村民が感謝して供養のために行ったのがはじまりといわれている。昭和39年に諸事情から一旦廃止されたが、昭和59年話し合いの上再開され、現在も続けられている。
 大龍寺は享保3年(1718)3世月指和尚の時代に火災にみまわれ、それまでの古文書等が焼失しており、以前の詳細は不明である。その後、弘化3年(1846)11世玄雄和尚の時代に本堂が再建された。また、明治24年(1891)には、濃尾震災により本堂が倒壊し、同27年(1894)14世達玄和尚の時代に再建している。実に200年弱の間に2回も本堂の再建をおこなったこととなり、先代住職の胸中が伺われる。

【現況】
 大龍寺は、領主村瀬公の菩提寺であることから本廟があり、毎年4月の第3日曜におこなわれる倉知祭の際には昔ながらの裃や烏帽子姿の氏子十数名が本廟に参詣し、祭の無事円成を祈願している。